以前読んだ医師向けの雑誌に「臨床医は死んでゆく人と最後まで会話を交わす情緒的なもの」という記事がありました。主治医は最後の別れまで会話を交わし、患者さんの気持ちを「医の心」で見極めなければなりません。そして、死にゆく人の希望であれば、在宅で、患者さんを囲むご家族や友人・知人に思いを受け継がせ、その上で看取る形にするのが理想的です。このことは、死にゆく人、付き添う人とを納得させ、飾ります・・・。昔からあった別れの風景は実に美しい。
さて、昨今医療機器のデジタル化が進んでいます。最新の医療機器は、瞬時に検査結果が確認できますし、蓄積している診断結果のデータとの比較が簡単かつ正確に行うことができるため、とても便利になりました。そのため、診断に際しては、医療機器で得られるデジタルのデータを駆使することが重要です。しかし、忘れてならないのは、総合的には患者さんの「生に対する哲学」を重視することです。医療機器がいくら進歩しようとも、患者さんの気持ちを「医の心」で読むアナログ的な対応が今も昔も変わらず大事だと思います。
ノートルダム清心学園の渡辺和子理事長が以前行った講演の中で次のようにおっしゃったことが今も心に強く残っています。「マザー・テレサが遺した功績の中で最も素晴らしいのは、カルカッタ(インド)の路上で死にかけている人を〈死を待つ人の家〉へ連れてきて、そこで最後を看取ったことです。テレサは『人間にとっては生き方と同様に死に方も大切なことです。とりわけ、良く死ぬということは極めて大切なこと』 と話しています。〈死を待つ人の家〉はハエが飛び交う廃屋に等しいのですが、そこで手厚い看護を受けた死にかけているその人は、看護人の温かい腕の中で心から『ありがとう』と言って亡くなられます。この風景を見て、テレサはユーゴスラビア人のあの訛りのある英語で『It is so beautiful(それはとても美しい光景です)』と言われます。日本の病院は設備が整っており非常に清潔です。しかし、そのような環境にあっても、心からありがとう、と言って亡くなられる方は果たしてどれだけいらっしゃるのでしょうか。もちろん、最新の設備は大切です。でも、患者さんの心に触れるのは、機械ではなく心のこもった手と目です。この大切なものを忘れてはいないでしょうか(看護の「看」の漢字は「手」と「目」で成り立っている)」。
医を取り巻く環境は科学の進歩と歩調を合わせながら様変わりしています。私は「医の心」を大切にしていきたいと強く思います。
(荒井 嗣 14.4.25.)